受は苦、楽、不苦不楽の三種の感覚作用です。想は感受した認識対象から、その姿かたちや像、音、におい、味などを受動的に受ける表象作用です。行は受けた表象作用に対して能動的に意志する働き、あるいは衝動的な欲求です。識は能動的な意志ないし衝動的な欲求に基づく、認識あるいは判断です。
コンピュータの専門家によれば、人間は常に周囲から一秒間に百万ビット(ひらがなで百万字)もの情報を受けているそうです。仕事中でも、休養中でも、ただ部屋に居ても、歩いていても、車を運転中でも、電車の中でも、六つの感覚器官により常に膨大な情報を受信しているのです。それが受信の段階で終わるか、想の段階で終わるか、行の段階で終わるか、識の段階で終わるか、そうした心の働きの結果、肉体の行動の段階まで行くのか、一人一人、その都度、異なってくる訳です。
仏教は人間の存在全体を、肉体とそれを拠り所とする四つの段階からなる心の働きをもって、表し尽くすと考えているのです。
①バラモン思想の取り入れ
古代からバラモン思想には六つの感覚器官である、眼、耳、鼻、舌、身、意を羅列して認識の成り立ちを考察する思考法がありました。アビダルマは、このバラモン思想を取り入れて、感覚的、知覚的な認識を三つのカテゴリーに分類した。さらにそれぞれ六種の要素に分析して、認識は三つのカテゴリーと六種の要素によって成り立っているものとした。
②十二処と十八界
この十二処の働きによって六種類の認識が成立するが、それが眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識です。十二処に六識を加えたものが十八界です。このように五蘊はさらに精密に十八界に分類され、人間が無常の流転する様相を分析した訳です。