お釈迦さまの時代に主流をなしていたのはバラモン思想でした。バラモン思想では実在して永久に流転する我「アートマン」が説かれていた。アートマンは悪行により闇の世界に落ち、善行により天界に生まれるとされた。天界では美しい花園、華やかな音楽と舞、贅をつくした食物と酒を楽しみ幸せな時を過ごします。しかし善行の果報を享受し尽くすと再びこの世に生まれ戻るのです。
こうして転生する生存は楽しみと喜びもあるが、苦しみも多い。王侯貴族に生まれるか、貧しい農夫に生まれるかにより、その貧窮や苦しみに大きな違いが出てきます。そこで苦しみや悩みの少ない階級に転生するため善行に励まなければならない事になる。しかし、どんなに善徳を積んでも時が訪れ、善悪、徳不徳が計られて最後の審判により、苦しみの輪廻を終えられる事がない。人々を深い苦しみと悩みから救い出す神が存在するわけでもないのです。
この時代のインド人にとって輪廻は無限の不安の種であり、現実の苦悩であり、恐怖でもあったのです。
①苦諦(苦の真理)
そもそも悪行や不徳は苦しみの原因になります。しかし、善行や積徳もまた苦の原因になります。善悪も徳不徳も五蘊、つまり肉体と心の無常なる働きによるからです。この世には美しいもの醜いもの、名誉や不名誉、才能と無能、豊かさと貧しさなど、永続するものなどなく、無常に変転流転するだけです。お釈迦さまは五蘊が無常だから苦なのだと説かれたのです。
②集諦(集の真理)
③滅諦(滅の真理)
④道諦(道の真理)
四聖諦において、苦は五蘊が無常なることに原因があると説かれた。では何故、五蘊は無常なのか。それは、五蘊、つまり肉体と心の働きは、それ自体の単独の働きで動くは事なく、常に「他に縁って」、他に依存して動くからです。その働き動きだけでなく、そもそも五蘊は他に依存して存在するのであり、単独の実在性などないのです。
肉体は空気と水と食物によって作られた物体ですが、やがて空気と水と土に還ります
怒の心は、怒りを誘発する事象によって生じますが、事象が変われば消滅します
優しい心は、優しさを誘発する事象によって生じますが、その事象の変化の仕方によっては怨みの心に変わる事があります 肉体も心も常に他に依存して時々刻々と変化しております。このような五蘊の縁起的な生成と消滅、変化こそこの世の真相なのです。