この分裂の直前、アショーカ王の子マヒンダがスリランカに仏教を伝えた。スリランカでは上座部仏教が成立し、今日に至るまでパーリ五部と云われる阿含経典が保存されている。その後東南アジアに広がったこの仏教を南伝仏教と云います。一方、仏教はインド本国から北西インドに伝わり、中央アジアを経て、南伝仏教より数百年遅れて紀元後一世紀に中国にもたらされた。これを北伝仏教と云う。
①阿含経典(部派仏教経典、又は原始仏教経典)の如是我聞
結集とはお釈迦さまの教えを弟子達が誦して互いの記憶を確認しながら、合議の上で聖典を編集する集会です。
結集において弟子達は、当然の事ながら、「私はかくの如く聞いた」として内容を誦した。このため「如是我聞」を経典の冒頭に記する方式が経典の形式として定着していきます。
②大乗仏教経典の如是我聞
最初の大乗経典は般若経です。般若経誕生後も、龍樹によって空の論理が集大成された後にも多くの大乗経典が誕生した。お釈迦さま入滅後数百年後に誕生したそれらの大乗経典も、阿含経典と同じように冒頭「如是我聞」が記されています。これは次の理由によると云われます。大乗仏教の先駆者となったのは、神秘的瞑想を行ずる一群の修行者でした。彼等は瞑想の中で、あるいは夢の中で、仏(悟った人)と会い、また空中から仏の声を聞いた。この体験は現在、十方世界に存在する諸仏が、すべての人は大乗の修行を追求する事により、無上にして完全な悟りを得て仏になる事が出来ることを保証していると理解されたのです。この体験により、お釈迦さま入滅後数百年経って誕生した経典も仏説と受け取る態度が可能となり、如是我聞を経典冒頭に記する形式を踏襲するに至ったと云われる。
①教相判釈
②五時教判
華厳経はお釈迦さまが成道された時の深甚微妙な真理を説く高度な大乗仏教経典
阿含経は真理の一面のみを説く程度の低い経典
大乗仏教の入門的な教え
大乗仏教の上級者の教え
お釈迦さまの真意を表す最も勝れた完全なる教え
この五時教判が中国仏教最大の特徴で日本仏教は今もってその影響下にあると云われます。お釈迦さまの直説の阿含経典はこの教相判釈によって仏教史の片隅におかれた訳です。日本においては明治中葉になって、サンスクリット語による仏教学研究が進んでいた西欧に留学した学僧の研究により明らかとなり、阿含経典は原始仏教経典として復活してきました。それが今日、中村元先生など多数の専門家により、研究が進んできている訳です。